中潮、満潮1202の干潮2021で満潮から4分の一くらいのところからの釣り。1430から1700まで。
ターポンは通年釣れるとはいえ、はやり夏の風物詩。死ぬほど暑い炎天下の下に釣ってこそ楽しい。
香港ターポンポイントの水、水質は何とも言えないけれど少なくとも視界は大抵よくない。
雲のない強烈な日差しの下、視界の届かな水面下から「ぶわっ」と出てくる魚を見て興奮するのが醍醐味である。
ただ、日本の夏もそうだけど、炎天下ど真ん中の釣りは本当にきつい。きついだけで済まないこともある。それは釣り終わった後思い知ることになった。
前回、切れ味のなまってしまった釣りに歯ぎしりをしていたのだけれども、今回は感覚が戻ってきたことと、前回よりはターポンの活性が高かったこと、雲のない強烈な日差しが水面を照らしており魚にしてもフライを目視して食いあがってくるのにはもってこいの条件がそろった。
ただ、魚のほうはというと、活性が高くなく下からおってくるものや、反転はそれなりに見えるけれどもフライに触れるか触れないかってところで引き返す。
フライの後ろからおそらく深いところでゆっくりと眺めているけれど見切って反転、アタック掛けるけど直前で反転というのが多い。
視覚だと「ふわっと」反転していくのだ。
フライラインを手繰っている手には、魚の反転の波動が伝わってくることしばしば。
そんなに活性が高くないときは一本調子のストリッピングでなくゆっくりだけど変化をつけるのが結構効く。
6番のタックルに、インタミ、4㎝の岩井ミノーといういでたち。
キャストして着水後、15カウント前後でストリップ始める。2,3回引いたのち、2,3秒動きを止める。そうすると、インタミは緩いUの字を描いていて、フライが水面、竿先とフライの中間点が一番水面から深く沈む。
まぁ、それでもせいぜい20㎝前後。
ストリップを止めているその2,3秒に岩井ミノーは動きを止め、少し浮く。
活性の低い魚はそこで「はっ」として口を使ってくることが多いのだ。
やる気が出た魚はスピードが速く、かつはっきり反転してくれるのでフッキングがたやすい。そうでないふわっと反転の場合は、後ろからフライをふわっと口に入れ、フライの進行方向と同じ方向に進むことが多く、フッキングに至るのはとても難しい。まず向こう合わせはない。
てなことを試しているうちに来た!フライを止めた刹那にフライをひったくってくれた。
美しい。
こんな美しいものが存在し続ける限り僕らは釣りをやめないと思う。
それからなのだが、香港夏の炎天下で都合2時間半フライロッドを振り回し、何とかつ抜けしたので釣りを終えて片付けを始めたところで異変が起きた。親指の付け根、手のひらの部分の筋肉がつりだした。
はじめは左手だけど、右手まで。水は1リットルもっていっていたけれど、ほぼ飲み干している。汗はかいているけど脱水症状ではないとはおもう。
ゆっくりかたずけを終え歩き始めた。
駅までの道のり、2キロ前後あるので歩くと30分程度、息が上がる。
あまり日差しをよけて座れるところがなかったので歩き続け、線路をまたぐ陸橋でやっと風があり涼めるところに座って落ち着いた。
調べるとどうやら日射病になりかけていた。ふぅ、気をつけねば。
日射病といえば10年以上まえ、横浜沖の一文字でカサゴを狙ったときに、目の前が白くなりかけたこと以来記憶にはない。
ブログ、こういう外部記憶の役割としていいかも。
僕が香港にこだわって10年もいるのは、この魚がいるからだ。海フライやる変態にはたぶん通じるけど、世の中の大多数は「この人何言ってんの?意味わからない」って狭い領域。
日本を離れて10年たった。
ネットの使われ方も変化してきて、ブログは商用の目的以外で書いている人はとても少ない。少なくとも2010年より前にフライや、海フライネタにやっていたブログの大多数はフェイスブックかインスタグラムに移行していった。
個人的な理由で前者を使わなくなっているので、かつて楽しんでいたフライの友人たちの活動はあまり見えなくなってきている。まぁ、後者で友人の釣った魚は拝めるけれど、彼らの心の中の機微までは文章でみることがかなわない。
商用でブログをかいているひとは、利益を上げるのが目的なので、記事を読む人におもねる。更新頻度はほぼ毎日で、読む人のほしいと思うものを大量生産しないといけない。
そんな流れの中、僕のブログは取り残されてしまった感がある。まぁ、目的が違うので何とも思わないし取り残されていようと関係ないといえる。
Youtubeもしかりで、趣味のレベルで細々と動画を上げる人やらはもう目立たなく、更新頻度の高い、商用か、露出度を高めるために戦略的にガシガシ動いている人が多い。
なので、こちらも以前のような悠長な雰囲気はあまりない。
などということを感じていたのだけれども、嬉しいことがあった。今は連絡を取ることがなくなってしまったけれども、ブラックプラチナで大暴れしていたころの友人、ペリカンさんが、フェイスブックで話題にしてくれたようで、数年前まで香港におられて、今は日本で、メバルカマスキビレスズキを釣りまくっておられる鈴木さんとやり取りをされるようになっているとのこと。
こうやってブログが生存確認のために役に立った。ペリカンさんとは当時メールでやり取りしていたので、メールアドレスや電話番号は持っているけれども、今は普通になっているwhatsappsやlineは当時まだ普及していないか存在していなかったのでペリカンさんとの日々のやり取りは今はないけれど、間接的にお元気そうであることや、当時の釣りを懐かしんでおられるということがつたわり嬉しかった。
個人の生きた記録として使われるブログとしての使用頻度の低下。フェイスブックでさえ、若い人は離れていって綾小路きみまろさんのいうところの中高年のメディア化してきているそう。
まぁ、これからも細々とこのブログは続けていくので、これからも皆さん宜しくお願いします。
おしまい。
ご無沙汰しておりますナマジです。
釣り具もそうですが、手慣れた道具を換えたくないので私も可能な限りブログ書いていくつもりです。
釣りブログが「外部記憶の役割」的にとても役立つということは多いに頷くところです。
紀伊半島に移住して近所の港でアイゴが釣れたとき、香港で釣りの帰りにアイゴ食べたの思い出しました。懐かしい良い想い出です。
なまじさん!ご無沙汰しております。そうですよね、自分のペースで、早くも遅くもできる外部記憶装置の意義は今の環境で必要担ってきていると感じます。外のスピードや密度にまかれると疲れてしまったり、長続きしませんものね。
アイゴ!楽しかったです。ブログの内容とか表現力はなまじさんのものが目標というか理想なのですが、程遠く、仕方なくこれまたマイペースで進んで行くことにしています(笑)。